Frieze Art Fair とダミアン@ウォレス・コレクション

日曜日は、今週数日間にわたってリージェンツパークで開催されていた、Frieze Art Fair/フリーズアートフェアの最終日にいってきた。アドミッションが結構高額で躊躇したけれども興味深いのでいってみた。世界各地からギャラリーが参加し、各々のブースが設けられ、作品展示がされている。僕は一エキシビションの来場者という立場で見て回っていたけれども、作品が売買される市場的な場所でもあった。

あまりに膨大な数の作品数をみたので、終盤は疲れて眼がずきずきした。何故疲れるか。それは作品を見ては、その意図を探るのにギリギリと視覚を使うから。観回っていてわかったが、いい作品は視覚に費やす時間が少なくて済む。そうでないものはいつまでたっても表面をじろじろ眺めてなんだこれはと探らなくてはならない。視覚を少し使って「糸」みたいなものを発見したら、後は目は然程に必要ない。その糸的なものをたぐり寄せて、思考のループのような状況にたどり着ける。であるから目を閉じても、その場を立ち去っても、印象に強く残り「ふむふむ、あれはいったい何だったのか」と考えさせられる。そういう作品は残念ながらかなり少なかった。ブースの一つにホワイトキューブがあったが、そこの作品は基本的にやはりホワイトキューブ、かなり上質だった。自分の事務所的に肩入れしているからかもしれないが、ダミアン・ハースト、トレーシー・エミンは強烈だ。コンセプトがぶれず固い。それに難題を扱っているが、シンプルに答えてある。使用している素材も色んな可能性がある中から最適解を導きだしている。全部分が全体を構成する作品であり、気持ちの弛みがない感じだった。細部にまで意図がある(様にみえる)。

ダミアン


トレイシー

目頭を押さえつつ、公園を出てメリルボーン・ハイ・ストリートを南に下りながら、コンランショップなど散策した。そしてウォレス・コレクションへ。ダミアン・ハーストのペインティングが公開されている。何日か前のBBCのニュースでダミアンは塩漬けの動物・薬のキャビネットはもうやらないと公言していた。そしてここ数年、小屋(うちら設計)にこもって大学以来の油絵の練習に励んでいたのだった。「ああ、彼ら(批評家)は批判するだろうな。嫌いだと思う。」と彼自身言っていた。彼本人そう予想した通り、おのおのの新聞社に寄せられた批評家のコメントは辛口だった。「dreadful / ひどい、amateurish / へた、adolescent / 青くさい」、「レンブラントプッサン、巨匠達のホームでいったいなにやってんだ」と。

"Hirst 'gives up pickled animals'"=「ハースト『塩漬けの動物、諦める』」
http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/arts_and_culture/8284891.stm
"British critics lash 'amateurish' Hirst paintings"=「批評家、揃ってダミアンのペインティングを「ヘタクソ」と批判」
http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5gn3MG-zWj0hcqdu9S46HymeVsLAQ

それでもまあまあ良かったんじゃないかなと思った。展示されているすべての絵は黒に限りなく近い濃い青の背景に青白い頭蓋骨が浮かんでいて、その周辺にダミアン十八番の象徴が配置されている。タバコ、吸い殻、レモン、サメの骨、蝶など。「dead /死」と「 transcience/一時的であること、はかなさ、無常」がテーマ。昨日もナショナルギャラリーでプッサンを眺めていたけれども、本人も認めている通り、プッサンのシンボリズムに強い影響を受けている。その姿勢は変わらないが、おっ、と思ったのが、青い黒の背景にイコンが浮かび、その上を無数の線が描かれている事だった。


https://www.othercriteria.com/ より引用。

クモの巣、、、なのか真相はどうかはわからないが、Guardianによるところ、この線の説明を「cobweb/クモの巣」という言葉で言い表している。(あいまい、混乱という意味でかもしれないが。)それにしてもこの線はどうも適当にクモの巣を模したものというよりは、もっとインテンショナルな空間的幾何性がある。頭蓋骨、灰皿などのシンボルが配置されている部屋のアウトラインを描き出す線としてである。そして時々、線はぶれ、オブジェのアウトラインをなぞる様に描かれている。もしかしたら、人間(観察者)の視線をビジュアライズしたものかもしれない。


https://www.othercriteria.com/ より引用。

いずれにしてもこの線からは、シンボリズムによって認識される空間と視覚によって認識される空間の両方の共存を試みてみようと考えているような、彼の新しい方向性を模索しているかのようにみえた(仮説の上に仮説を建てているみたいでグラグラ)。展示会はその模索しているプロセスを展示しているんじゃないだろうか。もしそうならば興味深い。いままでダミアンの作品は、イコン的なものがメジャーであったから。



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