ギリシャ紀行:5日目

9月1日、木曜日。9月に入った。

アテネは今日も快晴。手早く準備をしてホテルを出る。今日は1日ANGと遠くの街に遠足する予定になっていた。朝9時ホテルを出発し地下鉄の駅に向かう。最寄り駅から、地下鉄で行ける最も北の駅に向かう。10時着。しばらくしてANGが青いMINIで到着。助手席に乗り込む。

コーヒーを買って出発。遠く北のDELPHI / デルフィへ向かう。古代ギリシャの宗教の中心地として栄えた街だが今はすべてが遺跡と化している。丘全体が遺跡だときいて是非言ってみたいと思ったのだった。昨晩一緒に食事をしたギリシャ人の友人達にデルフィに行く事を伝えるとあまり良い反応をしなかった。いっても何もないよ、というのだ。遺跡があるじゃないかと思うも、彼らにとってはもはや生活の一部であるから珍しくもないのだ。


道に迷うANG、それをよそ目に僕は外に出て日光浴して、写真を撮ったり。

アテネの込み入った風景がいつのまにやら、倉庫群が多く立ち並ぶ地域へ。倉庫群を抜けると住宅地が広がる郊外、そして最後にはオリーブチュリーが生える乾いた山々に囲まれる。車はひたすら北に走り、2時間くらいで目的地:デルフィに到着した。

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丘の斜面全体に遺跡が広がっている。紀元前1000年、そんな昔からここは神を祀る場所として栄えていたのだそうだ。太陽が照りつける中、斜面を上がって遺跡を探検する。ところどころに配置されている図面と説明を読みながら過去の風景を頭の中で再現する。中腹のアポロン神殿、、古代劇場を通って、最上部のスタジアムまで辿り着く。古代劇場から眼下を眺めた風景はまさに聖域。背中の方から風がふき、谷底に吸い込まれるような感じだ。スタジアムまで辿り着き、下山する。冷たい飲み物を飲んで一休みしデルフィ博物館で発掘された彫刻や保存されている建築の一部などを眺める。

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博物館を後にして道路よりも下に位置する体育訓練所とマルマリアの遺跡をみて、アラホバの街に車でいく。小さく実に静かな街。デルフィと同様に丘の斜面にある街。アラホバのタベルナで遅い昼食をとる。この地方特有のフライパンで焼いたチーズと種々の肉のフライやスブラキを食べた。しかしANGは量があまりに沢山でてきたので、焦った。というのは実は ANGの母が僕たちのために料理を沢山作って待っているからであった。大丈夫なんとかなるさと思ったがあまりに多かったので、半分テイクアウェイ。

アラホバの街を後にして再び2時間かけてアテネへ戻る。さて行きとは違う道を通って、ANGの自宅に向かう。高速からアテネの郊外住宅地に出て樹々が生い茂る綺麗なストリートを走る。ついたよと、、彼女の家の前に来て唖然とする。鉄のゲートと青々と茂る芝生の広大な庭、そして豪邸。。ANGはただなる小娘ではなくて、ANG令嬢、お嬢様である事が判明する。


..... 緊張する。

ご両親に挨拶する。家の中や、庭、テラスなど隅々迄ガイド。その後テラスにてANGお嬢様とご両親と僕と4人で食事。リアルにギリシャの家庭料理。なすのローストとかグリークサラダ、ミートボール、チーズが入ったピタなど、沢山テーブルの上に並べられる。ほとんど無音の庭、心地よい空気の中、ANG母の手料理をいただく。今回の旅行で最も贅沢な瞬間だなと感じ入る。120%胃の容量をオーバーする。

ANGのご両親はギリシャ語で話しかけてくるので、ANGが席を話している間はお互い片言の英語とギリシャ語で会話。父上はANGがいない隙をみて、「もっともっと食べなさい、君は細いんだからね」と次から次と僕の皿に美味しいそうなものを並べてくださった。

そしてデザートにはメロンとスイカと、いちじく。このフルーツは感動的に美味しかった。もの凄く糖度が高く、そしてジューシーだった。これがギリシャの太陽の力なのかと恐れ入り、ロンドンに帰ったら待っている不味いフルーツの事を思うと心配になった。こんな美味しい物を食べて、再び戻れるのかと。。。120パーセント食べたつもりだったのに、こんな美味しいフルーツは残せないと、皿一杯に並べられたフルーツを押し込んだ。今日並んだ野菜やフルーツは全て親戚の果樹園や農園で穫れたとても新鮮なものだときいて納得。すべて特別だった。

ご両親、ANGのシスターとはお別れして、ELEFが待ちくたびれているアテネ市内のパブ、THINKへ向かう。夜景が綺麗だ。22時頃パブの近くに到着。ELEF、ANG、MALIの女の子と僕と4人で乾杯。わいわい。24時過ぎタクシーを取っ捕まえてもらってホテルに帰る。寂しいけれどもここで3人とはお別れ。とても親切にしてくれた。25時前ホテルに着。シャワーを浴びて就寝。長い長い1日だった。