13日の金曜日だな。

仕事終わり家でリラックスしてたら、MT君からBBCのiplayerのリンクが送られてきた。1時間のドキュメンタリー、;Beckii: Schoolgirl Superstar at 14だった。このBeckii=ベッキー・クルーエルは日本人にはお馴染みだと思う。こちらで知っている人は少ないだろうなとは思っていたけれども、遅いか早いかは解らないけれども、BBCがこういう特集を組むんだから、徐々に噂が噂をよんでとうとうここ迄やってきたという事だろう。
BBC制作のフィルムだけれども、イギリスか日本、いずれかのバイアスではなかった様に思う。日本側からも、イギリス側から観てもお互いにとって平等な立場で撮られていたと思う。1時間見終わった後、なんだか空しい感覚に陥る。14歳ベッキーを取り巻く、日本とイギリスの黒い商業主義社会が見えた。途中何度もベッキー・クルーエルの普段の生活風景が流れた。よくみる薄暗く曇ったイギリスの典型的な田園風景だった。そういった自然の風景が流れたと思うと、とたんに東京の新宿・渋谷等の光り輝く派手派手しい大都市にベッキーが現れたりする。ベッキーを前に狂喜乱舞する人々、日本人が幻想の中で生きる人達の様に、日本自体が幻想であるかのように、僕の目には映った。ファンの人達に囲まれて幸せだと話していたベッキーだが、番組最後に言い放った一度踏み入れた世界だけど私には”real world”がある、私はこちらで(マン島)での現実の世界があるからという言葉は、日本人には重い。こういうベッキーの発言が実に大人びているのには驚いた。
誕生日に友人達に囲まれ、カードや、アクセサリーなど、年齢相応の物をもらっている一方で、日本のファンからは大量の食料品が送られて来たり、誕生日カードと共に結構な現金が入っていたり、高価そうな本格的なベースが届いたりと明らかに度が超えていた。ベッキーも、家族もうれしがってはいたが皆表情が晴れなかった。困惑の色が隠せないでいた。日本のファンにはもっと私じゃなくて自分自信に愛を与えてほしい、そう本人はいっていた。
バイアスは無いとはいったものの、イギリス主体で撮られているドキュメンタリーであるから、大部分がイギリス風土の中での普段のベッキーが主体で撮られていた。その風景を見ると如何にこの国が質素で素朴かが解る。それが世界の、大半の現実でそういう地に足を着け、泥臭く不便に、現実的に生きるというのが如何に大切かが解った気がする。ベッキーが言及した「real world」というのはそういう感覚なんだろうと推測する。東京のあの風景は局所的な現象でありそれだけが世界ではない。僕は、ブログをやっていて言うのもなんだが、地に足をつけ、不便で原始的な生活を好む。

観たい方はこちらへ
http://www.bbc.co.uk/iplayer/episode/b00tf20x/Beckii_Schoolgirl_Superstar_at_14/