ベルリン2日目

ベルリン2日目

午前8時前に目が覚める。一瞬自分がどこにいるかわからなかったがベルリンのホテルの一室である事を思い出す。シャワーを浴びて目を覚ます。さっと身支度を整えて8時半にロビーへ。KNMさんと待ち合わせて朝食をとりに外にでる。FRIEDRICH STRASE駅内のカフェでサンドイッチとコーヒの朝食を食べながら簡単な予定を組む。午前中はバウハウスアーカイブに行くことに決めたので早速行動。ホテルに戻り準備を整えて出発。100番のバスに乗車。TIERGARTENの外周を回って南下する。アーカイブ近くのバス停に降車。11時頃到着し、入場料と音声ガイドを借りてさっそく見学。


バウハウスアーカイブの前

今回は2006年に一度訪れたことがあったので2回目の訪問になる。展示はバウハウスの教育カリキュラム、そのカリキュラムから生産された生徒の作品や、ミースやグロピウスの建築、マルセル・ブロイヤーなどの手掛けた椅子やプロダクトデザイン、テキスタイル。またファイニンガーやモンドリアンの絵画なども。音声ガイドをききながらスケッチもしたりしてゆっくりと展示を見た。

バウハウスアーカイブを出てバスに乗ってホテルまで戻る。昼ごはんはホテル近くのイタリアンレストランへ。意外に美味しくてKNMさんも僕も満足。KNMさんは野菜のスープと魚介のパスタ僕はゴルゴンゾーラペンネ。12時過ぎにホテルに戻る。

さて12時半にロビーにて人と待ち合わせ。今回のベルリン訪問はKNMさんにお会いする事と共に、今からお会いする方との通訳がそもそもの目的である。12時半過ぎ、待ち人LEON SPIELER / レオン・シュピューラーさん現れる。LEON SPIELERさんはバイオリニスト、指揮者でもある。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターとして30年間、カラヤン時代の1963年から1993年まで活躍された。KNMさんとレオンさんは久しぶりの再会、僕は初めての挨拶。挨拶も早々、LEONさんの車に乗せてもらい郊外のLEONさんの自宅へ。

都心を抜けて自然が多い郊外へ向けて車は進む。緑豊かな街並みが続き30分ほどで到着。家の前で奥さんのMARIEさんのお出迎えしていただき家の中へ。MARIEさんはIngeborg Körnerという芸名で知られた元女優さん。画像検索してご覧と言われてロンドンに帰ってから検索したら美人すぎて驚いた。元々映画館のオーナーである旦那さんがいらっしゃったが、他界され20数年前にLEONさんと再婚されたとのこと。

広々とした家の中には楽器や書物、日本の浮世絵や掛け軸なども目に入る。KNMさんより日本からのおみやげと僕からのロンドンからのお土産を手渡し、庭で歓談。MARIEさんが苺とヨーグルトを用意してくれた。LEONさんは自家製の南フランスのオレンジから作ったリキュールを飲ませてくれた。2、3日前まで南フランスの別荘にいていつも作るのだそうだ。いただいたものはじっくり寝かせたもので渋いオレンジから作ったそうだ。なかなか渋いオレンジは手に入らないのだとか。


広々とした庭。庭というよりも森の一部といった印象。ロンドンの緑よりも鬱蒼としている気がする。


LEON SPIELER / レオン・シュピューラーさん、MARIEさんと僕。


ちなみにお仕事中のお2人はこんな感じである。格好良すぎる、そして美人過ぎる。


ベルリン・フィル1963年のこけら落としの写真をみて、自分を発見するMARIEさん。


そのこけら落としの時に来ていたドレスを見せてくださった。

広い庭、静寂そのものである。いい天気でどこからともなく色んな鳥のさえずりが聞こえてくる。
話は自然と僕が建築をしている話になり、ベルリン・フィルの話へと展開する。アカデミックで建築的な事は全く気つもりはなかったのだが、僕の鞄の中にはベルリン・フィルの本が入っていたのでそれを広げて色んな話をお聞きした。1963年に建物が完成した時の杮落としの事、LEONさんは3人いるコンサートマスターの内の1人だった。しかしながらLEONさんはそのコンサートのメンバーにはいられなかった。せめて会場に入りたいとの思いでその当時の女性のSECRETARY / (秘書と訳せばいいかもしれないが、誰の秘書かは聞かなかった)に話をしてチケットを頼んだが、1席すら席は空いてないと意地悪されて、その人がとても嫌いだったとか。しかしMARIEさんはその杮落としの会場内で演奏を聞いていたそうだ。僕の感覚としてはその時はまだお2人は出会ってなさそうだった。シャロウンの図面集に掲載されている杮落としの写真を見せてどこにいたか聞いてみると、ここよといって自分が写っている部分を発見された。しかもその時着ていったドレスまで覚えていらっしゃってわざわざ持ってきてくれて、我々に見せてくれた。

MARIEさんはシャロウンが杮落として挨拶した時、「私はなにもやっておりません」という謙遜するシャロウンが印象的だった、そんなシャロウンが好きだったと。ベルリン・フィルの楽屋からベルリンの壁が見えたこと、壁が崩壊した時の事。1970年代の話だったか、、LEONさんがいつもの演奏前の練習のためにベルリン・フィルにやってきて、10時からはじまる練習に参加する直前に、吊り天井が一部崩落しそれがコンサートマスターの席の真上に落ちてきたが、席に座るのが5分遅かったために命が助かった事。ベルリン・フィル内の多数決で天井はすべて新しくすると決まったことなど、、、書物から学ぶ歴史よりも、人からの実体験をオーラルに聴いたものは、僕自身の身体にあたかも体験したことのように一気に吸収されていった。

ご夫婦いずれも80歳半ば、夫婦の会話は実に愉快である。日本で言うところの夫婦漫才なのだが、聞いていてとてもいい。

L「今日はこれからみんなでここに行こうと思うんだけど。」
M「そこは今日一番いってはいけない場所よ」(新聞の記事で今日はみなその観光地へ行こうという広告がでたから)
L「でも。。。」

M「今日はドイツ語はなしたらだめでしょー!
L「あ、ごめんなさい」

L「…」(車を運転するLEON)
M「LEON、ゆっくり走って街並みが見えないわ。。。あの建物はね。。。」(私達のための観光案内)

KNMさんが予約してくれたライヒスターク内のレストランでの食事が明日あることをきいて
L「明日はいっしょに、ドイツ人みんなが行く古くて有名なパブに行こうかと思っていたんだけど」
M「そんな汚いところはやめなさい。よくないわ。ライヒスタークの綺麗なレストランの方がよっぽどいいわ」

などである。仲良しそのものである。


サンスーシ宮殿・散策


サンスーシ宮殿・散策その2


サンスーシ宮殿・散策その3、夫婦とKNMさん


サンスーシ宮殿・散策その4

ヨーグルトをいただき色んな話をした後は、4人の決定でポツダムのサンスーシ宮殿へ。車で30分ほど。車内ではMARIEさんの丁寧な観光案内が続き、それに応じてLEON産の運転する車は遅くなったり早くなったり。僕達のためなら車の後ろに列が出来たっていいのである。MARIEさんの人柄は素晴らしい。誰にだって話しかけていく。横を通る人には確実に声をかけて挨拶する。挨拶して暫く立ち話する。さすが女優。サンスーシ宮殿を4人で歩きながら散策する。80歳の夫婦にはこの高低差はさすがに大変だということで、ベンチで待っていてもらいKNMさんと僕は敷地を散策。フリードリヒ2世の避暑地である。広大な敷地と自然に気が緩む。

サンスーシ宮殿を十分散策した後、LEONさんの車でベルリンに戻り予約してくれていたレストランへ。MARIEさんの昔の旦那さんである映画館のオーナーの映画館が2つありその映画館に挟まれたレストラン、これもその旦那さんがオーナーだったそうだ。20年ぶりに来たとのことだが、確かに店員さんの反応が驚いた様子だったのでそうなんだろう。温厚な待遇を受け緊張する。シェフが最近変わって料理はVIENNA風(ウィーン風)になったそうだ。

おすすめの料理をいただきワイワイと色んな話に華が咲く。たくさん話したくさん通訳した。食後はまた車でホテルまで送ってくれた。車からおりお礼を言ってお別れ。MARIEさんは明日用事があって家にいなければならないのでこれでお別れ。LEONさんは明日も一緒に観光してくれる。23時前にホテルに戻り、ロビーでKNMさんと別れ各部屋へ。今日も1日密度の濃い1日だった。KNMさんとLEONさん、MARIEさんに感謝。


4人で乾杯。


KNMさんのシュニッツェルVIENNA風


僕がいただいビーフ・ストロガノフ