北上旅行2日目。

今日(3日)は青森に行く。
盛岡のユースを7時に出発し、バスを使って再び盛岡の駅へ。
原チャリの旅をする男性と写真を撮ってお別れ。
バスの乗り継ぎの計画をきちんとしてこなかったので、
本数の少なさに焦る。焦ってまた間抜けな事をした。
バス停にメガネを置いてきた。
バス停の時刻表がささったコンクリートの上に置いてきたのだ。
そこでメガネを少しの間だけ置いてコンタクトをつけ、
メガネはそのまま放置したのだった。


八戸でユースの受付、104経由で県立体育館前交番にも連絡して
行方の捜索を依頼したが、結局みつからなかった。
両方とも親切にその場まで見に行ってくれた。
ショックでしばらく立ち直れなかった。でも無理矢理気を取り直す。
八戸へで新鮮なリンゴジュースを買って京都に送った。
仙台では伊達の牛タンを両親に送ったなそういえば。


ーーー
旅から帰ってきて、
昨日(7日に)、臨時メガネを購入。
いまだ、あのメガネは行方知れず。
一体何処に行ったのだ。。。。。
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IGR岩手銀河鉄道青い森鉄道から見える景色は綺麗だった。電車の中で
宮本常一を読んでいると、日本の家の屋根の話が出ていて、屋根が場所や
必要性に応じて色んな形態に変化していく様を説明していた。
この電車の旅はその変遷を辿る上でも、ものすごくいい教室のような役割を果たした。
上野からずっと北上してきたが、仙台あたりまでは外の景色は都会と田舎を縫って
走っているようだったが、建物の変化はあまり見られなかった。
しかし、それ以降(一ノ関より北かな)は確実に屋根の形が変化し始めて、この2つの路線上では
すでに積雪に対応したへの字型の屋根やカブト型の屋根がほとんどだった。
無駄なベランダや装飾みたいなのもいつの間にか消えた。それらがあると雪で破損するからかな。
屋根だけじゃなくて、作られている作物も変化しているのが景色からわかった。
岩手県あたりであれが「ひとめぼれ」の田かあと思いました。
前沢を通った時には「前沢牛」を。
青森駅の手前では海と山が入り交じって、景色を見飽きる事はなかったです。


昼過ぎ、青森駅に到着して駅弁の昼食後、三内丸山遺跡青木淳設計の青森県立美術館へ。
美術館の前にバスが到着したが、まず縄文遺跡をみてその後に美術館。
縄文住居は重量感があってすごく迫力があった。縄文土器は色んな装飾があって、
美しさが意識されていたようだが、家はどうなのか。「美的感覚があった事をあまり期待しないでほしい」
藤森照信が書いていた。だからここにある復元住宅群の見た目はもうちょっと違ったのかもしれない。
でもあの柱にズングリとした屋根はすごい迫力だった。



遺跡を後にして、隣の美術館へ。
真っ白い固まりを見て、これはどうしたら物言いができるのかなと考えた。
まだ解らないが2日後に行こうと思っているリアスアーク美術館と比較してみたい。
中も真っ白だった。地下は土の中にいる感じ。建物の表面は煉瓦を白く塗った積石造だが、
構造じゃなかった。開口部を見るとわかるが、白い煉瓦積み壁が膜みたいに扱われている。
煉瓦のカーテンウォール。


夜はねぶた祭り。無茶苦茶迫力があった。
建築より迫力があって凄かったように思います。
青森堪能して、夜行「急行はまなす」で札幌へ。




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