週の真ん中だ

6月26日、水曜日。

午前7時半起床、9時半出社。電車の中で向かいに立っていた男性が僕と同じ姿勢で立ち寝していた。気持ちがよく分かる。南フランスのプロジェクトを終日、19時前に終らせる。途中、事務所で進行中のホテルプロジェクトの手伝いを5分だけ。デリ・カフェのメニューに使われる古いロゴの編集などした。

夜は、ピスタチオスパゲッティーとサラダ。前回と違って、オリーブオイルとベーコンを炒めた後に、スキムミルクをいれて少し煮立たせ乳化させたところにスパゲッティを放り込み、シチリアから持ち帰ったピスタチオの粉末をかけて食べた。前回より濃厚で美味かった。

夜は読書。「方丈記私記」堀田善衛著は第8章「世中にある人と栖と」を読み終わる。5,6章周辺は鴨長明の歌に関しての考察にどっぷりとつかっていたのでなかなか入り込めなかったけれども、8章の中盤辺りから面白くなり始めた。冒頭の「ゆく河の流れは絶えずして、もとの水にあらず、、、」は泡が消えてはまた浮かんで、にかかるのではなくて「世中にある人と栖と、またかくのごとし」を修飾している。大火、遷都、地震、台風、あるいは飢饉全てが住居と隣合わせにして描かれており、住居は人の世の無常感を託されているとのこと。

鴨長明の著書の1つ「発心集」の「貧男差図ヲ好ム事」という文章がありこれは面白そうである。住所不定の貧しい男は時間を持て余している時には誰かから紙や反古(要らない紙)などをもらっては家の設計図を書いて計画することが日課で、寝殿はこうだ、門はこうだとか色んなアイデアをだしては心を慰めていたようだ。

「・・・彼の男があらましの家は、走りもとめ作りみがく煩もなし。雨風に破れず、火災の恐れもなし。なす所はわづかに一紙なれど、心を宿すに不足なし」

訳は、、、(前略)そういう訳であるから、彼の設計図上の家は、ああだこうだ(材料選びで行ったり来たり)して煩うことなどない。それに雨風でも破れることもなければ、火災の恐れもない。なすところはわずかに1枚の紙だけれども、心を宿すには不足はない、、、。名も無きアンビルト・アーキテクトの存在が描かれている。

読み進むに連れて、いよいよ「方丈」の家に焦点が定まりはじめた。方丈の建てた場所である京都府宇治日野、日野山の話。兼好法師の人間生活の条件「衣・食・住・医」の話など。宇治日野の法界寺は実家からとても近いので、今度帰国したら行ってみようか。親鸞の生誕の地として知られるのだそうだ。

[:W640]
帰りの電車待ち


ところで帰り際、事務所の鍵を一束にしているキーホルダーが破損したので、急遽キーホルダーを買うためにCAMDENの駅で降りた。買うならこれ系だと決めていたものがあるので、幾つかのお店を物色。ロンドンのテレフォンボックスかバス、あるいは郵便ポストのいずれかで迷っていたが、結局テレフォンボックスを選んだ。£2。