昔、御馳走になったおにぎりを思い出した。

4、5日間ほど自分で白米を炊いて食べてなかったので、夕飯に炊いた。そしたらいつもよりも美味しく炊けた。2、30回に1度、1ヶ月に1度の割合でこのおいしいご飯が出来上がる。安い、ボタンが1つしかないイギリス製の炊飯器で炊いている。調整が実に難しい。だからいつも炊きあがり方が違う。この1/30のご飯が出来るのは、恐らく水と米の黄金比を成し遂げた時にできる炊きあがりなのだ。少し堅めで、一粒一粒が独立してしっかりしており、噛むと甘みがにじみ出てくる。

ロンドンだから、日常的に色んな国の米を食べる。中華料理にいったら出てくるチャーハンにはもってこいの白米や、インドのターメリックライス、タイ料理で出るスティッキーライス(カレーを上からかけて食べた)等、色んな米を食べる。しかし最終的にはやはり日本米に戻ってくる。これが一番美味しい。僕が今食べている白米は、「ゆめにしき」という欧州産こしひかりだ。原産国はイタリア。「アルプスを臨むイタリアの肥沃な水田地帯」でつくられているようだ。お店の人に「ちょっとだけ高い(不通のより2、3ポンドほど高い)ですが、農薬が少なくておいしいですよ」って言われて買ってみた。いつも食べている白米よりも美味しかった。

そんな事を考えていると、僕が今迄食べた中で最も美味しく、感動した白米の事を思い出した。それは日本の大学院にいた頃、研究室の先生とクライアントさんと共に、民俗研究家、結城登美雄さんの東北のご自宅(だったか)によせてもらった時に食べたご飯だった。夏の終わりか秋口だったか、、和室、畳に座って夕焼けの畑を眺めながら夕飯をいただいた。クライアントさんも一緒に居られて、その息子さんもいた。彼はT君といって、(いつもブログにでてくるT君ではない)僕と同い年でそこにいた中で僕と同様に最も若い。だから目の前に出された物は2人ですべて平らげた。もう食べられないという程沢山の奥さん手作りの最高においしい料理と庭で穫れた新鮮な野菜がでてきたので、腹十二分目まで食べた。さすが食文化専門の結城さんのご家庭で御馳走になったものは、野菜も、何もかも叫びたくなる程美味しくて、腹一杯になるのを忘れる程だった。もう何も入らない無理だと思った最後に、結城さんの奥さんが握ってくれたおにぎりがだされた。

うめぼしだったか、おかかだったのか、あるいは塩オニギリだったのかもしれない。海苔は巻いてあった気がする。お盆の上に沢山のっていたイメージも浮かぶ。クリアには覚えていないけれども、ただ、、そのおにぎりが強烈に記憶の中に残っている。3つか4つ程いただいたはずで、パンクしそうな腹にすうっと入っていったのが不思議だった。あのおにぎりは本当に美味しかった。もう一度食べてみたいとは思うけれども、叶いそうにないな。結城さんは宮城県にいらっしゃるのだろうか、地震で被害に遭われてなければよいのだけれども。

あの時にいただいた料理や野菜が本来あるべき食べ物の姿なんだと、毎日コンビニやファーストフードを食べていた自分を疑った、「大丈夫かあんな物を毎日食べていて」と自分の身体を不安に思った。食卓に並んだ物は決して豪華なものではない、和牛やフォアグラなんかんじゃ勿論ない。きゅうりやトマト、なすやピーマンである。数年経った今、ロンドンでは日本の様に手短にお弁当や総菜などは手に入らない。コンビニなんてものがそもそもない。ファーストフードはたくさんあるけれども、一度食べてみれば解るが、あれは本当に身体を駄目にする。続けて食べれば病気になる。そして一度壊したら治るのに時間がかかる。だから毎日、週2回のランチも含めて自分で用意している。そういう生活をしていて、ああやっぱり自分で作る料理はおいしいなとか思うが、あの時あの食卓に並んだ「おにぎり」や「野菜」には程遠い。あの次元にはどうしたら辿り着けるんだろうか。