ロンドンと日本(東京かな)のかなしさ違い。

日曜日は外出し、場所を転々と変えて本を読んだ日になった。ナショナルギャラリーのカフェでしばらく時間を費やし、美術館閉館後はジャパンセンによって日本食材を買いだめし、無計画にオックスフォードサーカス周辺を歩き、22時まで開いているスターバックスへ。奇妙な事に、スターバックスには多くのアジア人がいた。そしてここは日本かと、疑いたくなる程に日本人が集中していた。どうしてこんなに偶然にも集まったのか、そして自分達も何故偶然ここにきたのか不思議だ。日本人の磁石的な力が働いた。まあそういうこともあるだろう。

「ロンドン何かかなしいっすよね」というH氏のコメントにふと敏感になる。僕もいつもそう思う。公園などで見る平穏な風景の裏側に、週末の都心の頽廃的な風景が広がっている。鈴木博之著「都市のかなしみ」は日本の都市を指して表現された言葉であったが、このかなしさと、ロンドンで感じるこのさみしさには大きなギャップがあるように思われる。何というか滲み出てくる箇所が違う。人々が手にする携帯、デジタル機器や都市を占領する商業空間は人々のコミュをつくらない。結果として場所性は消え殺伐とした都市空間が現れる。大雑把だがそういう殺風景な空間が占める都市空間を指した「かなしさ」だったと記憶している。

ロンドンはむしろパブ(場所の例)やらサッカー(イベントの例)が根付いていて、単発的だがコミュが生まれる場所・機会は多い。見知らぬ人との会話がはずんだりする事も多い。ただ場所やイベントにおける人々のマナーを無視した行動が街を汚く不衛生にしている。それは勝手な憶測だがイギリスの幼児段階からの教育的な問題もあるだろうし、多種多様な外部からの人種の集まり故におこる価値観の混濁が招いていることでもある。都市の悲しい風景が臭い出す大本はそこら辺からではないか。

それに比べ日本(東京だろうか)は汚い場所もあるだろうけれど、衛生的な場所が占める率が高いと思う。偏見的かも知れないがそもそも日本人は道徳的だし公共空間における最低限のマナーを守らなきゃと思う人が多いから、街を汚す事に罪悪感を感じる人が多いだろう。その結果として、日本の都市はロンドンのようにゴミ収集する人達なしにして衛生的な風景が持続的に維持されているのだと思う。

ただ日本のかなしさの方が日本社会の身体奥深くに巣作る見えない悪性腫瘍のような気がして危険な香りがする。ロンドンに表出するかなしさの方は、危機的ではあるが回復見込みありの外傷のようだ。話が変わるが、今日は5月3日の日曜日だった。5月3日。ゴミの日。ブログネタとの語呂合わせがいいじゃないか。

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