土曜日だ。

平日は曇り続きだったロンドンが週末はうまい具合に晴れてくれた。朝から昼にかけて部屋の掃除と洗濯をして一週間分の部屋の淀みをとる。昼、友人のYさんと会って食事をする。エッセイや論文で大変そうだが、頑張って欲しい。予期せぬ就職祝いをいただいてしまって感謝する。その後、色々と買おうと思っていた物があったのでそれを捜しに。ぶらぶらして気が付けばトラファルガー広場は、ナショナルギャラリー前にいた。さて今日も先週に引き続きナショナルギャラリーで絵画捜しをしようと思い散策する。ここは所蔵作品が多く、それぞれの絵画の質も高い。各々の部屋を素通りしても数枚は見たことのある絵画があり、すぐに足が止まる。


目当てはこの美術館の所蔵作品を代表するハンス・ホルバインの「大使たち」。ワントゥーワンスケールで、すべてが精密に描写されている。二人の大使の間に配置された計測装置やルターの賛美歌集、リュート、歪んだ髑髏などの画面上のシンボルから画の深部へと迫っていける。こういう絵画の記号解析をして時代を超越した仮説的物語に浸れる時間は楽しい。

http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/holbein_gesandten.html
ディエゴ・ベラスケスの「鏡のヴィーナス」は有名である。この絵画は多くの評論家によって分析されている。多くある切り口の中で興味のある点は「REFLECTION / 反射」がテーマの1つにあることである。 ヴィーナスが鏡に映る自分に見入り、その鏡を通して画面の外にいる我々観察者と目が合う。ここに見ること、そして見られることが対峙する状況が観察者の前に提示される。この絵画が描かれた頃、世界は実は力学法則によって支配されているという客観的世界観を見出したデカルトが死んだ。「鏡」はそれを思い起こさせる哲学的装置として機能しているように感じられた。鏡は自分を外部から見るツールである。鏡のような建築を設計したいと思う。つまり建築は形の遊びではなく、この絵画における「鏡」のような思考装置としてデザインされるべきだ。建築に設計者の思考プロセスが現れるのである。

http://www.salvastyle.com/menu_baroque/velazquez_venus.html
3つ目の画、アントネッロ・ダ・メッシーナの「書斎の聖ヒエロニムス」。どこかで何度か見たことのある画だったが、このギャラリーにあるとは知らなかった。A3ポートフォリオ程度の大きさに驚いた。リアリズムを極限にまで追求したその小さなフレームには、膨大な情報が凝縮されている。絵画の空間的分析が読み解くための重要なキーであることが計算高く表現されている。ホルバインの絵画からは描かれたシンボルがヒエラルキーの緩く、配列的であったから全体的に静かに語られる物語のような印象を受けたが、この絵はパースペクティブが原則として全体を支配しており、空間の構図、奥行き、光、影が画をより豊に、ドラマティックにしている。それにしても小さい。

http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/messina.html
その後19時にリヴァプールストリートで、友人二人と待ち合わせ。リチャード・ホールデンで働く小見山君とバートレット、アダブティブ・アーキテクチャー&コンピューティングの堀田氏。もともと2人とも東大、僕は早稲田がベースとしてあるので建築デザインを語る言語が若干が異なる。だがロンドンという場所で同じ時間の流れにいると、不思議と共通した何かを感受している気がしている。「何か」は解らないが。やはり同じ井戸から水を汲み取っている気がする。だから会話は充実して楽しい。このノリで「何かやろう」という事が決定する。なので「何か」をやる。

ちなみに彼等もブログを持っていて面白い。
堀田氏:
http://computecture.blogspot.com/
小見山氏:
http://blog.goo.ne.jp/yosuke_googoo/

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