ローマ 建築の断片

人工的(そこら辺の石ころにしか見えない時もある)につくられた建築を構成する、というかかつて構成していたものの断片が丁寧に並べられている。オーダーやコーニス、アーキトレーブ。ピラネージはこういう建築を構成する要素を掻き集め、一枚のエッチングにおさめたものを沢山製作した。イギリスのジョン・ソーンもまた然りだ。しかし僕自身歴史的建築言語を熟知していないが故に、多種多様異なったオーダーの断片がそこに2つ以上並んでいる状況に意味、興味深い物語を発掘できない。柱の太さも違えば、高さ、柱間のスパンも違っているはずだ。断片が示している異なった建築の目的が想像できたら、さぞかし楽しいだろうな。単純にもっと勉強が必要なのである。遺構を眺めるには高度な理解力が必要なのを痛感させられる。

建築の解剖図を見ている様な感覚になる。

『ヴィジュアル・アナロジー「つなぐ技術としての人間意識」』という何とも難解な本が本棚にあって、その中で著者はピラネージに関してこういっている。簡略化して言うとインターネットの連繋力を引き合いに、「しかしニューロンの予測不能な鹿の跳躍に一番似たものと言えば、ハイパーリンクされたマトリックスロココ時代にあって先駆していた祖たち、とりわけピラネージの、アナロジーに基づく奇想作(capriccio)に指を屈する」といった。断片を繋ぎ合わせようとする人間のイマジネーションの持つアナロジーという方法が興味深い。