4分の2連休は読書日

朝起きてみると、昨日に引き続き生憎の曇りであったから、今日は1日家にいようと決めた。無計画に外にでても出費する一方だから節約のためにもそれがいい。掃除、洗濯をちゃちゃっと済ませ読書モードに入る。福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」を読み終わり、森政稔著「変貌する民主主義」へ。ほぼ一貫して文学調で書かれて読みやすかった。意外にも建築や都市の描写が多かったように思われる。読んでいる最中いつもメタボリズム建築の事が頭の片隅にあった。というのも「内部の内部は外部である」「動的平衡/ダイナミック・イクイリブリアム」「膜にかたちをあたえる」など建築の言語で解釈できる事・正確には建築界でも考察されていた事が多かったからだ。メタボリズム建築の、機械的原理から移行し、生命のシステムを建築で実現しようとしたのは画期的だけれども、アンビルトが多く、数少ない実現されたものの1つ「中銀」は、それ以降の運営・メンテナンスのサスティナビリティーをキープするのが困難だった。その中銀も建て替えられてしまうようだ。

僕らがロンドンで読まされたのは、生命に限定されたシステムではなく更に広い意味でのシステムとその制御の学問、ノーバート・ウィーナー著「サイバネティックス/第2版―動物と機械における制御と通信」だった。特にシステムが「フィードバック」によって成立する考え方は建築にすぐにでも持ち込めるニオイがする。アウトプット(出力)が再びインプット(入力)として取り込まれる一連のプロセスを含んだシステムである。
メタボリズムは画期的だったけれども、静的な「動的平衡状態」を保つことに留まったように思える。基本的なユニットの機能が住居であり、必要であればユニットを別の機能のユニットと交換し変容していく。だけれども構造的な骨組みはステイする。人間が身体の姿勢を変えるように柔軟な構造は持てなかった。おそらくフィードバックという系をもった建築が実現されたとしたら、建築が時間と共に自分の意志を決定、安定化し、更には進化していくのだろう。となるとやっぱり建築自体にAIが内蔵されていないと駄目なのだろうか。あるいは観察者、システムを概観する別の存在が必要になる。

僕が日本の大学院にいた頃、写真家ジェフ・ウォールの作品の中に建築的にとても意味深なのを見つけ、おっと思ったことがある。「朝の掃除、ミースのバルセロナ・パヴィリオン1999」と題された写真で、説明するまでもなく文字通りの風景である。極度に抽象化・純化された建築は、毎朝メンテナンスしてもらわないとやっていけないのである、、、と読めた。理想的には時間が凍結された空間にでも配置されるべきパヴィリオンである。時間に乗って風化してしまったパーツがアナログな方法によってクリーニングされ、出入りのない一方向性のシステムが制御されているのである。最先端のガラスは掃除しなくていいときいたけれども、ホントだろうか。
とても楽しく読めた本でした。「民主主義」の本はまだ読み始めなので何も書けない。


テート・モダン「JEFF WALL PHOTOGRAPHS 1978-2004」より
http://www.tate.org.uk/modern/exhibitions/jeffwall/rooms/room12.shtm

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