Bartlett、M.Archの結果は壮絶だった。40人中20人が落第させられるという結果となった。
僕は無事通過して、バートレットから学位がもらえるようだ。それにしても、この切り捨てぶりには驚いた。
ひどい。と正直思った。みな僕の親友であり、かなりの努力をしているのは知っている。それでもこれが現実だ。
日本のいわゆる建築デザインの修士課程とは違って、こちらの教育システムは厳しい。枚数と文字数の限度を超えていれば卒業できるという訳ではない。どう違うかというと一言では言えないが、一番重要なのはつまりデザインの審査のシステムが厳しい、日本よりもしっかりしていることだと思う。日本で僕が通っていた大学院の修士課程の卒業審査は、こちらのと比べると信頼感がかなり薄いように思われる。こちらはつまり、まずチューターと生徒(10人未満)、それらがユニットを形成する。生徒とチューターは対等であり、けっして理論とデザインを強制したりしない。良いチューターは生徒の特異な部分を抜き出して育てるし、場合によってはそれを間違った方向へと向けさせないために摘み取る。その過程を経て1年間かけてプロジェクトを多面的に進化させていく。マスターの最後に提出するポートフォリオには、自分が興味を持った切り口からどのようにデザインを、そして理論を進化させてきたのかが表現されていなければならない。まずこのポートフォリオ(論文も含まれる)は内部審査を受ける。つまりチューター数人とコースディレクターが、その作品がマスターレベルに至っているか、建築の新しい可能性を示唆しているかなど。。。適切かどうかを判断する。もちろんバートレットの顔に泥を塗るような作品はここで切られる。生徒はこの審査には顔を出せない。でも生徒は事前にクリティークを通して作品を説明している。そして自分のチューターが何よりも自分の作品を一番よく理解しており、そのチューターが生徒に変わって作品をプレゼンする。そして他のチューターを納得させる。これがこいつの考えている建築だと。
そして、最後に外部審査というものがある。つまり外部、バートレット以外からデザインを審査できる教授、建築家、デザイナー、各種専門家など、イグザミナーを集め、自分のチューター達が生徒に変わって彼等にプレゼンテーションして作品を説明し、外部の人たちが卒業するに値するかどうかを審査する。この内部と外部の2重審査は信頼できる。偏らないように出来ている。そしてチューター自身がイグザミナーの前では生徒となり、プレゼンテーションする。この教育システムは流石イギリスだなと思う。日本ではこのシステムはあるのだろうか。少なくとも僕の大学では無かったように思える。